スリとスリ後発の。

そこで専門家に鑑定を依頼した。が、「Aちゃんと同一人とはいえない」とのことだった。それはそのままマスコミに発表された。ところが、である。段ボール箱置き去りから五日後、犯人と思われる人物から、朝日新聞東京本社と被害者の母親宛(あ)て2第二章「異常」の兆しに「犯行声明」が送られてきたのだ。差出人は、「所沢市今田勇子」となっていた。手紙は約四八○○字にもおよぶ膨大(ぼうだい)なものだった。「A(被害者名)宅へ、遺骨入り段ボール箱を置いたのは、この私です」という書きだしの手紙には、誘拐時、殺害時の具体的状況、それに遺体が腐敗し骨になっていく様子、骨を届ける気持ちになるまでの心境などがこと細かに綴(つづ)られていた。そして、何よりも、にはAちゃんの眠ったような写真が添(てんぷ)付されていた。犯人は手紙の分析を待つまでもなく、こいつだっ参」かつた。

いま会社の業績は調子がいい。いま退職してどこかへ勤めても、こんなよい条件で一雇ってはくれないことも十分承知している。明日から行く先があるわけでなく、たくわえがあるわけでもない。毎日たりない頭で考えぬいたのである。減私は、ついに決心して蕊,ねぶり出しに戻った。職業安定所へ半年通う。失業者の群れにも加わった。商社へ世話しましょう、と親切に声をかけてくれる人もあった。こうして、迷い考えぬいている時期に、私の頭の中に一つの課題が生まれ、それがだんだん l生命と使命大きく成長していった。経営者としての立派な人材がいない会社、指導者がいない会社は、たとえ現在は安泰で、安住していようとも、いずれはくずれるに違いない。

ここで落語を一席ご紹介しましょう。「この頃は医者も不景気で、流しのドクターがいてんねん。キャバレーやスナックにカバン一つで入ってきて、元気になる注射をしてくれるんや。ホステスなんか可哀想なドクターや思うんやろな、『アーサンの大きい腕みたいわ』いうて手伝うたりするんやで。そうそ〃赤十字″いう屋台知らん?この頃はあの消毒の匂いかいだだけで、ふらふらつと入っては、注射してもろうてんねん。あの国道沿いにカースルーという診療所できてんの知らん?車に乗ったまま、腕を出すと〃プチュッ〃と注射してくれるんや。ああ、ここが二十四時間営業の診療所や。いままであったのは、深夜にきたらまあ診てやる、というとこやつたけど、ここは違うで。二十四時間、患者がくるのを待っているとこや。″ビョーソン〃いうねん。

「北海道には、すごい記者がいる」結局、ネッスル合同問題は、立ち消えになってしまった。昭和七年二月、武嗣郎は待望の政治部行きが決まった。記者クラブで送別会が開かれ、夜行の寝 台車で上京することになった。その見送りのときのことである。山猫というあだ名を持つ政友会のまつみきよた代議士松責喜代太が、たまたまそこに通りかかった。松責は喧嘩早いので有名であった。松責は、記者のひとりに、訊いた。「いったい、何の見送りなんだ」「同僚が、東京の朝日新聞本社に赴任するんです」松責は、いかにも馬鹿にしたような口ぶりで、罵っ(ののし)た。「なんだ、アカの記者か」アカというのは、共産党の機関紙「赤旗」から転じた共産主義者という意味である